竹早卒の多様性に学ぶ

泉(旧姓:黒須)美紀代さん

 卒業後美大を経て花王・Avon等の企業内デザイナーとして働き、商品開発の業務を経験。ご家庭の事情でその道を断念していた2017年~18年のある日、YouTubeで「アチャルリ(ジョージアダンス)」を観て「踊りたい」という衝動に駆られ、一本道にジョージアダンスに精進されました。現在は企業デザイナー経験を総動員してジョージアダンスの日本での普及と両国友好に尽力されています。

 今回、ジョージアダンスとの出会い、その魅力、目指すことなどを美しい写真の数々とともに紹介していただきました。


現在の活動…第2回ジョージアフェスティバルに向けて動いています。

 カスピ海と黒海に挟まれた場所、南コーカサスにはアゼルバイジャン、アルメニア、ジョージアの3つの国があります。アゼルバイジャン、アルメニアは聞いた事があるかもしれません。日本人の99%が知らない国、ジョージアの民族舞踊を踊ったり、教えたり、日本で広める運動をしています。

 教える人が日本にいなかったので、コロナ禍直前の2019年10月にジョージアに飛び踊りを習ってきました。

 2023年5月には、第1回ジョージアフェスティバルを立上げ、上野公園で開催しました。

中央筆者


ジョージアってどんな国?

 温泉が湧いて、食べ物が美味しく、人々は観光客のことを少し遠いところから観察して、困ってるなと判断したら優しく声をかけてくれる人々。それが一番初めにジョージアの首都トビリシでの感想です。ちょっと日本人ぽいかも。ジョージアはジョージア語族という言語で「ジョージア人」だとされています。ジョージアの中にもたくさんの民族が住んでいて、山の民族は非常に気性が荒いなど特徴がある。そこで、まずよく観察してから声をかけるそうです。

 首都トビリシでは夜中でも女性一人で外出ができます。これはいろいろな国を旅した私にとっては驚異的なことです。でも、コンサートなどの開始時間はだいたい30分くらい遅れちゃうコーカサスタイム・笑。あ、地下鉄は結構時間通りにくるので、これも東京並みです。


 ジョージア自体は日本の国土の1/5.北海道よりも少し小さい国で、人口は約370万人。チョハという民族服は「風の谷のナウシカ」の主人公が着ている服のモデルとなったと言われています。


ジョージアダンスを始めたきっかけ

 2017年の終わりか2018年の初め頃、Facebookに上がってきたYoutube動画がありました。ロシア語でタイトルが書かれたその動画に一瞬で魅了され、どこの何の踊りか調べまくりました。それは後にロシアにある有名なコーカサスダンスの教室の先生の踊りだとわかりました。踊りは「アチャルリ」という踊り。


コーカサスダンス

 「これを踊りたい!」と思い動画を参考に自主練をはじめますが、長いスカートの中に隠されたステップがわからない。そうこうしているうちに2019年の夏、私立中学に通っていた次男の修学旅行が10月にあることに気づき(毎朝弁当を作らなくていいわけですよね?)そのタイミングを見計らって、数日主人に協力を仰ぎ、まったくジョージア語も読めない、話せないジョージアへ9日間行くことができました。幸いにもきちんと英語でやり取りができる先生と知り合うことができたのと、Googleマップでほぼ街の様子が画像で把握できたことはとても心強かったです。滞在中は毎日3時間のプライベートレッスン。レッスンの前と後には教会の敷地に見つけたお気に入りの練習場所で、習得したことが翌日に積み重なるように練習していました。


 帰国後、割とすぐにコロナ禍になり、オンラインで師匠に学び続けられることになりました。当時はベリーダンスを教えていたのですが、学んだことを忘れないように自主練のつもりでジョージアンダンスを教え始めたのがきっかけで今に至ります。

アチャルリ


充実感とやりがい

駐日大使を囲んで

 高校卒業後、美大でデザインを学んだことから企業内デザイナーとして働き、商品開発という仕事柄マーケティングも学んできました。海外に生産工場を持つ企業や外資系企業で働いてきたので海外出張も多く、振り返ると自分の趣味の海外旅行も含め20か国以上の国々を訪問していました。

 デザインとダンス、一見まったく異なるように思えますが、異文化理解の上に成り立つ仕事の進め方、日本というマーケットに新しい踊りをいかに売り込むか、すべて企画デザインの仕事の経験が全力で生かせ、それが2国間の友好に繋がっていくところにやりがいを感じています。


デザインとダンスの共通点・相違点

 アーティスト(クリエーター)なので、自分の中ではどちらも「表現」、区別はないです。心の中にあるものをどうやって形にしていくか、どうやってみんなに伝えていくか、という過程は同じなのです。


大使館の方々と

 デザイナーの時は企業内デザイナーでしたが、次男がギフティッドであったため小学校に上がるのをきっかけに企業内デザイナーというキャリアを捨てました。物作りは続けていきたかったので、一人だけの株式会社をつくり、自宅で細々と商品を作ったりイベントを企画したりしていました。相違点は「デザイン」と「ダンス」ではなく、「企業内デザイナー」と「経営者」を比較することになりますが、企業内デザイナーの時は7割自分の考えが採用されたら「よし」という感じでしたが、今ではやりたいことをやりたいようにやっています。その代わり責任はすべて負うことになりますが。


目指すもの

 民族舞踊を踊るには、その国の文化の理解が必要です。外国の踊りを日本人の前で踊るのですから、ご覧いただく方は私の踊りを通して初めてその国の踊りと出会うのです。私の踊りに出会うことで、ジョージアやコーカサスの踊りや音楽、食文化などに興味を持ち、その文化への敬意や尊敬に繋がれば、それは世界平和につながるはず、と信じています。


高校の頃の一番の思い出

 クラスメイトは私がダンスの先生になったと聞いて驚かないと思います。高校時代、体育の時間にクラス対抗の創作ダンスコンテストがあり、張り切って振付を作ってました。ウエストサイド物語、集団行動、応援団の動きなど振付に入れていたことを思い出します(右写真はその時の賞状)。

 


 美術室での思い出は、美大を受ける私に同級生に「やりたいことがあってうらやましい」と言われたこと。美大に行くことは決めましたが親からは「絵画科は食えないからダメ」でデザイン科に強制的に受験を変更させられた私は、その先に何があるのか不安で心がはち切れそうだっことを思い出します。

 美大受験で通っていた予備校での話。

 デッサンをしているときに「リンゴの基本形は丸ではなく五角形。花弁が5枚、その根元に実になる部分があってその5つが膨らんで一つの果実になる。だから種は5つ、リンゴのお尻の凸凹も5つある」と言った講師の言葉に表面的なことに惑わされず、真実を見ることが大事なんだと学びました。


可愛い後輩たちへ

 皆さんは受験で選ばれたとても優秀な人たちであることをまずお伝えしたいです。私は人生の後半になってまた竹早の人たちとの付き合いが復活してから実感しました。皆さんとっても優秀で人格者で素晴らしい人たちなんです。だから自分を信じて進んで大丈夫です。

 そして、私の話を読んでもしジョージアンダンスに興味を持ったら気軽に連絡くださいネ。竹早のダンス部、Youtubeで見てます。Sapphiraというダンサー名なのでジョージアンダンス、Sapphiraで検索してください。ジョージアフェスティバルにも来てくださいね。


 

 ではでは。