竹早卒の多様性に学ぶ

徳丸鏡子(とくまるきょうこ)さん

    徳丸さんは、竹早高校時代「小野政吉先生」に出会い、学びの中からご自身の芸術観を育み、陶芸の道へと進まれました。現在は「自分・出来上がって行く作品・イメージの三者で対話しながら即興的に作り進める」独自の作風で陶芸家として活躍されています。

 

   今回、ご自身の陶芸の世界観と作品、そこに至る道のり(竹早高校時代、美大進学から陶芸との出会い)陶芸家としての変遷などをインタビューいたしました。


自分・作品・イメージの三者によって対話をする

 陶芸家の徳丸鏡子(写真右)と言います。陶芸家と言ってもろくろを使って器を作るような陶芸ではなく、自作の石膏型などを使用して作った様々なテクスチャー(ここでは粘土の表面の凹凸の模様)や具象的・抽象的なモチーフ(ここでは立体的なそれぞれの形の意味)を集積させた造形作品を主に白磁で作っています。

 作品のテーマは作った年代によって移り変わっていきます。作品を発表し始めたころは画廊一杯を埋め尽くすような大きな作品を陶で作っていましたが、自分の存在を越えて外へと向かうエネルギーを表現しつくしたような気がしたところで自分の内側に集積する記憶の海の中に漂う植物的な形を白磁で作る作風に向かい、この10年程は装飾の呪術的な力と飾ることの意味に注目して日本やアジアの寺社建築の装飾や祭祀の供物の形態に影響を受けた過剰に装飾的な作品を白磁で作ってきました。


 テーマは移り変わるものの造形の方法はずっと様々なテクスチャーを集積させて形を増殖させていくという技法で変わりません。大きな作品で組み立てる計画が必要なものはざっくりと小さな模型を作ったり、作るときの勢いを大切にしたいような場合は手の運動のように事前にドローイングをする場合もありますが、基本イメージが降りてきて大体の形の方向が決まったら自分・出来上がっていく作品・イメージの三者で対話をしながら即興的に作り進めます。細部も最終的な形も作り上げるまでは自分にもよくわかりません。作り上げてから「私を通して現実世界に出て来たがっていたのはこんな姿のものだったのか」と思うほど、私がひとりで作っているような感じではなく三者の合意で出来上がっていく感覚があります。なにかが私を使って美しい作品をこの世に降ろす、自分はその管に過ぎない、というような。そんな感覚だからか、私は自分が作ったはずの作品の梱包を解いたときにうっかり感動してしまうことがあります。「すごい綺麗、これ誰が作ったの?」「あ、私だ」って。(笑)

 今は来年(2024年)1月に初めて器型のものだけでの個展をする準備を進めています。その後の予定は決まっていませんが今年3月に展示をした人体に装飾的な今までの作風を合わせたリアル人体サイズの作品(写真左)をさらに作り足して野外で展示をすることが実現できたらいいと思っています。


小野政吉先生との出会い 

麗泉島(れいせんとう)

 私は姉・妹・弟との4人きょうだいの2番目で育ちました。定期購入してくれていた美しい挿絵がたくさん載った世界名作全集の絵本を母がよく読み聞かせをしてくれて、近所の貸本屋さんで旧刊の漫画雑誌を買ってくれたりもして美しい絵とわくわくする物語に浸って育ちました。理屈っぽく生意気だったので怒られてばかりいたような気もしますが、外で大勢で遊ぶよりは読書と絵を描くこと、手芸や人形作りなど自分の世界に1人で没入する遊びが好きな子供でした。

 竹早高校に入学して高校1年生のとき美術の小野政吉先生と出会ったことが人生の大きな転機になりました。中学でも微妙に周りから浮いていた私は、高校でこそ自分と似た誰かに出会えるのではないかと期待していましたが、急に大人びた男子生徒達は全く別の生物としか感じられず、同じクラスの人でも名前も顔も覚えられない。女子生徒達は利発で明るく美しく現実にうまく順応してスマートに行動している感じの人が多く、ニキビだらけで醜くて現実世界に自分だけ他の世界からぺたんと張り付けられたような違和感を持って生きていた当時の私には、直に見たら目がつぶれるんじゃないかと思うほどに輝いていて──みんな優しくて親切なクラスメイト達だったのに、自分だけ妙に緊張してうまく呼吸することもままならない苦しさを感じていました。


 でも、美術の時間があって、美術室と美術部があった。小野先生の美術の授業は1学期には石膏デッサンを1枚だけ、2学期は油絵を2枚、3学期は銅版画を1枚、と課題を「作品」としてじっくり時間をかけて向き合うという進め方でした。先生は授業中も美術準備室に引っ込んでご自分の絵を描かれていて、ときどき生徒の絵を見に来ては「もっとよく見なさい」と言いながら生徒が描いた絵を全部消して、「面」の説明をしたりしながら少しだけ手を入れたりして、また美術準備室へ去っていかれました。中学までの図画工作と大違いの大人っぽさが嬉しくて震えました。フワフワと好きなように描くのではなく、対象をしっかり観察し理解しながら描いていく姿勢を叩き込んでくださったのは小野先生です。

天庭(共同作品 大分県立美術館)


 対象と正面から向き合い、見つめて理解をし、受け取った3次元の情報を自分の理解を通して2次元の画面に再現し、今度は画面の声に耳を澄ましてその声をもとに対象に向かう。対象・私・画面の3者の会話で私の絵は描かれるようになっていきました。その進め方はそのまま陶芸家になってからのイメージと出来上がっていく粘土の形と私とでの会話で作られていく造形の進め方に繋がっています。


 当時の私は絵を描いている時には世界と緊張しないで向き合い繋がることができました。頭の中でいつも鳴り響いていた自分に対する罵声も止んだし、美術室でだけ普通に息をすることができた。絵を取り上げられたらたぶん死んでしまうような気がしたので、職業にしてしまえばいいと思って美術の道に進むことにしました。

 高校時代には全くクラスに馴染めていなかったのに、現在も高校同窓生のメンバーと繋れています。クラスメイト達の度量の大きさと理解力と優しい心の賜物で、素晴らしい人達と繋がれていることに感謝と喜びを感じています。

陶芸と同行二人

  油絵専攻で多摩美術大学に入学し大学3年生の時に専門クラスの選択で陶芸に出会いました。当時の最先端の現代美術は理論優先で自分でモノを作らない方向のものが主流で、作ること描くことが好きで美大に入った自分には大きな違和感がありました。そのまま油絵を描き続けていてもどこにもたどり着けないような気分になっていた時に、たまたま目にした美術雑誌で「現代陶芸」という器でなく表現的な造形の陶芸の特集が組まれていました。「ここに手を使ってモノを作って表現をしている人達がいる!」と雑誌を手にしたら、その表紙を飾っていたのが自分の大学の教授の作品でした。当時の多摩美には油画科の学生だけが陶芸を学べる「油画科陶芸」という専門クラスが存在し(今は陶芸は「工芸科」という枠に入ってしまいました)、私はそこで表現素材として陶芸を一から学んでみることにしました。

使用されている窯


愛用工具

 陶芸を始めたらこの素材の手で触ってモノが作れる直接性、粘土の様子を見つつ自分のイメージを探りながらまさに「対話しながら」作れる即興性、釉薬や土の調合と窯による焼成という化学変化を探って自分の手の内のものにしていく奥深さ、すっかりこの素材の虜になってしまいました。虜、というか陶(とう)という素材は私の中の混沌から一緒に自分達(陶と私)の「在りたい形」を引っぱり出してくれる相性抜群の相棒のように感じました。

 


 3年生から陶芸を始めたので学部の卒業で中途半端なまま学びを中断されてしまうことは耐えられず、大学院に進む事にしましたが家族から大反対にあいました。大学に入るまで4年も浪人してしまっていたので「才能もないのにもうヤメロ」というわけです。目に見える業績を作ればこういう根拠のない意見は言われなくなるだろうと、大学4年生から公募展に応募することを始め4年生で入選、なんだかんだで反対を押し切って入学した大学院の1年生時に同じ公募展である常滑の「長三賞」で大賞を頂いてしまいました。その受賞作が美術館関係者の目に触れることとなり、複数の美術館のオープニング展示や企画展にお声がけいただき、学生ながらなし崩し的に「作家」ということになってしまいました。当時はバブル期で日本国内にも新しい美術館が次々に建ったり美術館が収蔵品を増やしたいと動いている時期でもあり、そこも恵まれていたと思います。何気なく学食横の書店に行ったら現代陶芸の特集本に出会ったり、家族を黙らせようとして応募した公募展で賞を取って作家になってしまったり、経済的に苦しくてもうダメだ!と思ったら突然大きな美術賞をいただいたり、自分の心が折れて創作活動は全部やめてWWOOFER(ウーファー)*になって全国を農作業しながら放浪しよう、と思ったら大きな展覧会が決まったり。私には自分が陶芸を選んでいるというよりは陶芸が私を選んでくれていているのではないかと思うことが多々あります。いいでしょう、陶芸と同行二人、お遍路さんと弘法大師のように常に一緒に人生をこれからも歩いて行きたいと思っています。

 

*WWOOFER:有機農業に関わっている農場に宿泊と食事を提供されながらボランティアとして作業して経験やスキルを学ぶ全世界的な組織WWOOF(ウーフ)を利用して働く人

世の中は優しい ~後輩達へのメッセージ~

 私が高校の頃は視野が狭く自分のことも世の中も厳しく見すぎていました。今人生を過ごしてきて思うのは世の中は当時の自分が思っていたよりずっと優しかった!!ということです。今の高校生は社会情勢も厳しいし私達の頃よりさらにしっかりして現実的な人が多いかもしれません。でもきっと若い皆さんが思っているより世の中は優しいし、あなたの頑張りにも願いにも応えてくれる事が多いです。皆さんの情熱に正直に気楽に挑戦してみてください。意外と大丈夫なものですよ。